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いらっしゃいませ!熊野化粧筆を製造・販売する「癒しの熊野化粧筆 宮尾」です。お客様に喜んでいただけるよう、高品質の熊野化粧筆をお求めやすい価格でご提供させていただきます。熊野筆の極上の癒しをご体感ください。
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指定商品又は指定役務並びに商品及び役務の区分 第21類 化粧筆 出願番号:商願2014-047164 |
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祝 創業55周年 (有)宮尾産業
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御祝詞 広島商工会議所
皆様のお蔭で、創業55周年を迎える事が出来ました。 有難うございます。 これからも、皆様方に喜ばれる化粧筆をご提供できますように頑張っていきます。 熊野化粧筆の製造が本格的になった昭和38年の創業です。 熊野町の中でも古い歴史のある化粧筆製造者になります。 (有)宮尾産業は、国産製造にこだわり、海外からの製品や半製品を一切 使用しておりません。 熊野筆製造から出荷までを責任を持ってすべてを自社工場内で行っています。 平成27年1月 |
熊野筆 宮尾の職人の信念
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化粧筆 宮尾のロゴマークの意味は3つの矢が重なり合い協力をして1つになるというイメージのもと考えた宮尾ロゴマークです。
3つの矢は、創業者<宮尾光信>・店主<宮尾典明>・製造責任者<宮尾昌己>の三人を意味するものです。 お互いが力を出し合い協力し化粧筆作りを半世紀以上続けています。 |
創業者 宮尾光信と化粧筆の昭和30年代 |
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創業者 宮尾光信
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宮尾光信は、幼少時に両親と死別し裸一貫で、現在の宮尾産業を創業(昭和35年)
昭和35年、宮尾化粧ブラシとして家庭内手工業を創業。 昭和35年ごろから現在のアルミ金具の技術の発展に伴い、化粧ブラシ製造が盛んになり、アメリカを中心に輸出の最盛期を迎えていました。 しかし当時は、原材料を仕入れしたくても、大手の工場にはかなわずに仕入れがうまくできずに大変に苦労したと聞いています。 このように苦労を続けた父は、人が喜んでもらえるような安価で良い化粧ブラシを提供できるようにと私たち二人は幼少の時から言い聞かされていました。 |
店主 宮尾典明と昭和時代の化粧筆
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店主 宮尾典明
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宮尾典明は、昭和39年に出生。<東京オリンピック開催>
(私が責任をもってお客様の対応をし出荷致します。) 兄弟は生まれた時から原毛にまみれて育ちました。 幼少の時から筆作りを見て育ち、見よう見まねで筆作りの手伝いをしたような記憶があります。 <化粧筆の歴史・昭和時代> 昭和40年頃から真面目だけが取り得な父の信用も徐々につきはじめ、仕事も安定感を増し、宮尾化粧刷毛(ケショウブラシ)と名前を変更。 当時の化粧ブラシは各化粧メーカーの化粧粉ケースのおまけとして入っていたブラシを製造していました。 出荷に追われて、当時は宅急便もなく夜行列車に荷物を依頼、荷物を広島駅まで持っていった思いでがあります。 しかし、昭和46年にドルショック(ニクソン・ショック)が起こり、さらに昭和48年頃に第一次オイルショックがはじまり、熊野の化粧ブラシ業界は大打撃を受けました。 更に、追い打ちをかけて、韓国でも化粧ブラシ製造が盛んになってきました。 父も化粧ブラシを作りつつ画筆製造を始めたのも以上の要因がきっかけです。 この期に宮尾化粧刷毛から宮尾産業と名前を変更しました。 |
製造責任者 宮尾昌己と平成の化粧筆
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製造責任者 宮尾昌己
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宮尾昌己は、昭和40年に出生。
器用さがかわれ、製造責任者に抜擢。 (私が責任を持って、筆作りを致します。) <化粧筆の歴史・平成時代ー熊野筆ブームの到来> 平成に入り、長い間不振・不況だった化粧ブラシも、 熊野の伝統を引き継ぎ熊野筆として世界に発信し、 やがて熊野化粧筆として再び脚光を浴び始めました。 このようなきっかけで、化粧筆ブラシから化粧筆として呼ばれ始めたのもこの頃からです。 <癒しの熊野化粧筆 宮尾産業として> 化粧筆製造の歴史は熊野町内でも古い方になりますが、OENの関係などでなかなかオリジナル化粧筆ができませんでしたが、平成21年11月に念願のMIYAOオリジナル化粧筆を発表致しました。 平成23年2月に広島の中国新聞社が協賛している47クラブに加盟。その後、AMAZONにも加盟。 現在も、47クラブから全国の地方新聞社に弊社の化粧筆を紹介して頂いております。 平成26年8月楽天に出店。 <熊野化粧筆ブランドとして> 平成23年7月に女子サッカーなでしこに国民栄誉賞の副賞として熊野化粧筆が贈呈されたことにより、熊野化粧筆ブランドを築き上げることが出来ました。 <贈呈された化粧筆は一切、弊社とは関係ありません> ※なでしこに贈呈された名誉は、江戸時代から始まったとされる熊野筆の歴史があったからだと思います。 熊野筆に関わってこられた今までの多くの方々の努力と辛抱がやっと実になり花開いた瞬間だったと思っており、関係者の方や筆作りに携わってこられた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。 |
3本の矢を支えた 宮尾郁子
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影で支えてくれた 宮尾郁子
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宮尾郁子
(宮尾産業を母として支えてくれた一生) |
私たち兄弟(宮尾典明・宮尾昌己)が、
熊野筆職人として責任を持って熊野化粧筆作りを致します。
半世紀以上続く伝統の技
現在も1筆1筆、全て手作業で
熊野筆職人が丁寧に熊野筆メイクブラシを作っています。
熊野筆 レビュー(全国47地方新聞社の逸品)